むかしの田舎ではめずらしくない・・・はず。
今はちがうらしいけど子どものころは恐怖だった。
夜中のトイレはひとりで行けるわけもなく。
もちろん水洗でもなく・・・。
これだけそろえばお化け屋敷よりこわいかも〜。
ところが恐怖はトイレだけではすまなかった。
祖父が生きていたころは鶏を飼っていたんだな。
遊びにいったとき今夜はうまいもの食わせてやるぞ〜と。
はりきって庭へでた祖父は鶏をおさえこんでいっきにずぱっ!
・・・首がふっとんだ。え? なにがおこったんだ〜。
血がどばさっとふきでて事のしだいがわかってきた。←おそい
もちろん泣いた。大泣きした。かたまって動けなくなった。
鮮血も青くさせたけどもっと強烈だったのが・・・。
目の前を首なしの鶏がとっとこ歩いているさまだった。
なんちゅう生命力だろうか。すごい根性だ。
たとえ「なんじゃらほい」の世界だったとしても。
首をとられてまで歩く姿に感銘をおぼえるのだった。←?
・・・今だからいえることだなあ。
そうして晩餐のときとあいなった。
その夜は鍋。・・・昼間の鶏がぐつぐつ煮えたぎっている〜。
食えるかっ。ばかあ。大人どもめ〜。
ひとは罪ぶかい生き物だから家畜を殺すのに感傷はいらぬ・・・。
そうなんだけど気持ちわるくて食べるどころじゃない。
とれたての食物をさばいて調理して食卓へ。すばらしい自給自足。
がっ。ストレートすぎやしないかと子どもごころに思った。
それからしばらく鶏肉は食べられなかった。
クリスマスのときの定番「骨つきもも肉」などもってのほか。
それでも月日とともにおセンチ(?)な恐怖はうすれた。
ときどき健気な首なし鶏の歩行を思いだすけれど。
食材として手でさわれるし食べてもいるんだな。
・・・せめてクリスマスには鶏の冥福を祈ることにしよう。
ん。キリスト教徒じゃないし七面鳥でもなかったな。
うんむぅ。オリジナルな祈りに神のおめぐみを。









